2020.12.11 16:00 | 海外
男子ホッケーは1968年メキシコ大会出場以降、長らく五輪から遠ざかっていた。田中は2008年北京大会・2012年ロンドン大会の最終予選(ともに岐阜・各務原)、リオ五輪予選を兼ねた2015年ワールドリーグ・セミファイナル(アルゼンチン・ブエノスアイレス)と3度の五輪予選に出場したが、いずれもあと一歩のところで出場権を獲得できなかった。
県庁職員とホッケー選手の両立。バランスを取りながらトップ選手として活躍し続けてきた田中だが、業務後のトレーニングや「休みを申請して」の日本代表合宿参加など、「仕事のときにホッケーのこと、ホッケーのときに仕事のことを考えてしまい、難しい面はあった」と、その環境に満足できない部分があった。
そんな田中に転機が訪れたのは2018年。和歌山国体優勝後も県庁で仕事を続け、入庁後5年を迎えていた田中は東京五輪出場を目指す日本代表メンバーに選出され、4月のオランダ遠征に参加。世界最高峰オランダリーグの強豪クラブ・HGCとの対戦で田中の活躍がクラブ側の目に止まり、オランダリーグへの移籍オファーを受けたのだ。
3度挑戦した五輪予選で出場権を逃し、「強豪国と対戦した時にこの環境のままだと敵わないと感じていた」という田中は迷った。
両親も含めて周囲の8割が反対した。現在は妻として、当時は彼女として田中を支えていた桃さんに相談すると、最初は「大丈夫なの?」と言われたが、最後は「応援する」と言ってくれた。
田中は「(桃さんが)NGを出したら考えていたかも(笑)」と振り返ったが、大学卒業時にドイツからのオファーを断ったことへの後悔の念もあり、最後は自身で決断を下して日本人男子選手初のオランダ1部リーグ参戦が現実となった。
▼転機となったオランダ遠征
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